神様を第一に愛するという掟の意味

キリストの第一の教えは神様を愛することにあります。

 

そして、第二に、「隣人を自分のように愛せ」と聖書には書かれています。

 

順番が逆になってはいけないのです。

 

いつもどんなときも神様を愛している限り、私たちが悪の道を走ることはありません。

 

しかし、隣人から好かれようとして、隣人を愛するのは本末転倒です。

 

そうすることで、神様を捨て悪の道を突き進んでしまう可能性があるからです。

 

先ず第一に神様を愛すること。

 

この掟を忠実に守ってこそ、心が平安に包まれ、隣人も愛せるようになるのです。

 

私は以前、兄弟の皆様と接点を持とうと近づき、主に裁かれてしまいました。

 

不用意に兄弟に近づくのは罪なのです。

 

ですから、このブログは細々とやっていくつもりです。

 

兄弟の皆様も完全ではないので、罪を犯している人、高慢の罪に陥っている人もたくさんいます。

 

スピリチュアル系にもシンクロが起きたと言って騒いでいる人もいましたが、そういう人はたいてい心が平安に包まれてはいませんでした。

 

神様を信じる人の中にも、神様から祝福されたことをやたら自慢している人もいます。

 

これは自我の強い人が陥る罠で、ほとんどが神様から祝福されたと言うよりサタンからの影響を強く受けた結果ともいえるのです。

 

サタンも様々な奇跡、しるしを起こすことができるからです。

 

それを神様からの祝福だと錯覚してしまうのです。

 

私たちが求めなければならないのは、兄弟ではなく、神様であり、自分が神様から祝福されたことを自慢して兄弟から認めてもらおうとすることではありません。

 

わたしはこのことをちゃんと理解していませんでした。

 

ですから、神様に裁かれてしまったのです。

 

しかし、これでよかったと思います。

 

わたしはアメブロでもうブログをやりたいとは思いません。

 

海老蔵の顔ばかり見るのが嫌だからです。

 

もちろんそれだけではありませんし、信仰をもって神様を愛したからと言って毎日が常に良いことばかり起きるわけでもありません。

 

やらなくてはならないことも当然ありますがいつも心が平安に包まれているのです。

 

何が起きても大丈夫と思えるのです。

 

この平和な感覚があまりにも素晴らしいから信仰生活はやめられないのです。

 

やたら人を工作員扱いする兄弟にも興味はありません。

 

怒りもありません。

 

彼らの心が真に平安に包まれたら、だれだれが工作員だとかそんなこと気にならなくなります。

 

どうでもよくなります。

 

だからと言って、工作員がいないというのは嘘なので注意する必要があります。

 

工作員は間違いなく実在しますが、だから何だと言うのでしょう。

 

神様から祝福されたことや聖霊を感じたことなどをやたら自慢する兄弟は、嫉妬心にかられ、人を見下しています。

 

高慢の罪に陥っているのに、人が高慢の罪に陥っていると思っているのです。

 

聖書にはこう書かれています。

 

あなたは、兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、先ず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。 ルカによる福音書6章41節~42節

 

つまり、神様からこんなに祝福されたとか、兄弟を工作員扱いしたりして、それが勘違であるにもかかわらず、何一つ謝罪の言葉もなく、むしろ人のブログ内容を批判するような人は、高慢の罪を犯しています。

 

もちろん私にも否がないわけではありませんが、工作員である確証がないのに、その可能性のある人をみな工作員扱いするのは、肌の色が黒いことを差別する人と何も変わりません。

 

私がスピリチュアル系の話をよくするのは、私自身がスピリチュアル系と接点をもち、何一つ良いことがなかったことを多くの人に理解してもらうためです。

 

にもかかわらず、スピリチュアルやニューエイジの話をしているから、工作員だとあるアメブロの兄弟は決めつけてきたのです。

 

そして、わたしが少しでも汚れたものをブログに入れるのは罪だとメッセージを送りつけてきました。

 

汚れたもの?それはスピリチュアル系のことでしょうか。

 

たしかにこれは汚れたものですが、だからと言って、悪魔側の思想のことを全く話さずにどうやって警告をすることができるでしょうか。

 

わたしがスピリチュアルをアピールしているとも言ってきました。

 

スピリチュアルを言い広めようとしているとも言ってきました。

 

わたしがスピリチュアルをアピールすることで私にどんなメリットがあるというのでしょう。

 

私は主を愛しているからこそ、悪魔の思想にすぎないスピリチュアルを批判しているだけです。

 

人を工作員扱いして、間違いだったことがわかったのにもかかわらず、謝罪はしないわ、決めつけるわ、これはあまりにもひどいですね。

 

下手をすると、本当の工作員以上に兄弟の信仰を破壊しています。

 

私はRAPTさんのおかげで何とか信仰は守れているので、このような兄弟には信仰が破壊されることはなかったですが、信仰の弱い人とかだとこのようなことが一回でもあると、相当なダメージを受けると思います。

 

やたら説教臭くなる兄弟も要注意です。

 

なんでもはっきり言うおばちゃんみたいな人になるのも高慢の罪のせいです。

 

エスの言葉を真剣に守っている人が、なぜ説教ばかりするおばちゃんみたいになれるでしょうか。

 

明らかに高慢の罪を犯しています。

 

わたしもこのようなことをくどくどと言いたくありません。

 

自分が罪を犯すことになっては本末転倒だからです。

 

多くの兄弟の皆様に神様の掟を守ることがどういうことなのか、しっかりと理解してもらうために、このようなことを言っているのです。

 

もちろん私自身が接点を持とうとして近づいたのは事実ですから、その罪を反省していますが、過剰に兄弟を工作員扱いする人も逆に工作員なのではないかと疑いが出てきますね。

 

いやそういう人は、本当の工作員以上にたちが悪いです。

 

ミーハーな信者という感じで気分が悪いです。

 

特に40代ぐらいの女性に多いです。

 

何か言ったら、いちいち反論してきます。

 

謙虚さがまったくないです。

 

それでどうしてイエスの言葉を守っていると言えるのでしょうか。

 

もちろん工作員に対しては別だという考えなのかもしれませんが、私は工作員ではないので、その間違いを犯しながらも、まだ自分を正当化する図太さが考えられないと言っているのです。

 

それでよく神様の掟を守っていると言えますね。

 

私なら自分で自分が恥ずかしくなります。


とにかく、自分自身の罪をしっかりと認識することが大切です。


そうしてはじめて、兄弟の目のおが屑を取り除けるのです。