邪念との闘い

毎日が邪念との戦いの日々を送っています。

 

邪念はサタンなどの悪い霊的存在が入れてくると感じています。

 

御言葉に対する疑いや疑念など、いろんな邪念雑念に惑わされています。

 

特に仕事の疲れがひどく、祈りの時間が少ない日ほどそのような邪念にふりまわされます。

 

そのほか、いろんな罪との戦いもあり、自分という人間の不純さを痛感する日々を送っています。

 

明け方の祈りができるようになったのはいいのですが、祈っている最中は良い感覚で満たされるのですが、仕事に行く電車の中やいろんな場所でいらない雑念がたくさん出てきますね。

 

そのたびに神様を呼び求め、雑念を追い払ってもらったりしています。

 

しかし、その雑念を突き詰めていくと、思考の堂々巡りがはじまり、いろんなあらぬ考えが出てくるのです。

 

突き詰めるのではなく中断する必要があると思いました。

 

私は以前からこのような状態になりやすく、以前はそうなってしまう自分を責めていましたが、今はサタンからの攻撃だと割り切るようにしています。

 

いずれにせよ、自分の考えを突き詰めたところで、それは自分の考え以外の何ものでもないわけですし、私たちはどこまでも神様の次元を目指さなければならないのですから、神様の御心以外はすべて雑念だというスタンスいいのだと思います。

 

新約聖書イスカリオテのユダにサタンが入って、イエス様を裏切った話がありますが、私たちの肉体も、雑念で満たされているなら、サタンに簡単に操られてしまうでしょう。

 

そうならないように、注意しなければならないと思います。

 

気を引き締めていかないといけないと思いました。

 

サタンはちょっと気が緩んだところを狙って入ってきますね。

 

いろんな罪の誘惑が起きやすくなるのもそのようなときでしょう。

 

特に週末は要注意ですね。

 

あと長期の休みも要注意ですね。

 

とにかくいつもどんなときも気を引き締めて、神様だけを愛していきたいと強く願っています。

 

神様の愛だけがすべてだからです。

 

私には神様の愛だけしかないのです。

 

私は友人も少ないですし、人間関係も希薄です。

 

両親はサタンそのもののような人間なので、ほとんど捨てています。

 

神様の愛以外は捨てなければならないとの御言葉が宣布されました。

 

私は、最初からほとんど捨てられたような身分だったので、逆に何も捨てるものがなくて困ったぐらいです。

 

神様に対する信仰は祈りによって感じるしかないですね。

 

祈らない限り、神様の愛を感じることはできません。

 

神様の愛を感じれなくなれば、信仰を維持するのは難しいでしょう。

 

信仰を維持するために、私は祈っているのです。

 

もちろん、私の信仰は兄弟の皆さま、RAPTさまのおかげで維持できています。

 

自分が努力しなければならないのは当然ですが、兄弟の皆さまの祈りのおかげなのです。

 

私も熱烈に祈り、兄弟の皆さま、RAPTさまに、そして神様に恩返ししていきます。

 

愛する神様に栄光がありますように。

 

そして、皆様に神様からの豊かな愛が降り注ぎますように。

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