御心の道を願い求める

今、主に祈り求め、御心の道を探り、ただひたすら祈りを極めています。

 

信仰はまだ浅く、明け方の祈りをはじめたばかりです。

 

しかし、明け方の祈りなんて急にできるとは思えませんでしたが、すでに一週間続いています。

 

RAPTさんが条件を立ててくださったからでしょうか。

 

RAPT | RAPT有料記事185(2017年7月1日)主の愛はどこまでも清く純粋だから、心の清く純粋な者だけが感じ取ることができる。

 

このブログ記事からわかりますが、RAPTさんが私たちの分まで条件を懸命にたててくださっているおかげで、私もかろうじて信仰を維持できています。

 

心から感謝いたします。

 

自分ひとりの力では絶対に信仰を維持することはできなかったです。

 

私の霊魂はまだヒヨコのようなもんです。

 

いつもぐらぐらぐらついています。

 

しかし、主はいつでも私たちを見ています。

 

主を愛するために、私たちは全力で義の条件を立てていかなくてはならない気持ちが強く出てくるようになりました。

 

兄弟姉妹一体となって御心の道を探り、使命を果たしていかなくてはならない、今はそのようなときなのです。

 

アメブロでは兄弟の皆様に誤解を与えるような記事を書いてしまいました。

 

スピリチュアル系は悪魔崇拝以外の何ものでもありません。

 

それはRAPTブログに書かれています。

 

しかし、そのスピリチュアル系にはまる危険性を書かなくてはいけないと思ってしまい、焦ってスピリチュアル系についてあれこれ語ってしまったのです。

 

それが変に疑われる原因となってしまった。

 

私は悪魔崇拝をしてきた自覚はありませんが、その自覚をしっかりともっていかなければならない、そして真に悔い改めなければならないと反省しています。

 

それぐらいスピリチュアル系の教理はねじ曲がっているのです。

 

正義や善を求めなければならないのに、それが曖昧になっている。

 

それがスピリチュアル系です。

 

私たちは正義や善、そして、徳を求めなければなりません。

 

それが宗教の本質なのですが、多くの人が勘違いをしているのです。

 

特にスピリチュアル系にはまる人は、この傾向が強いです。

 

これはスピリチュアル系が悪魔崇拝であり、善悪を曖昧にして、悪を行わせようとしている根拠でもあるのです。

 

善と悪をごちゃまぜになると必ず善は消滅します。

 

悪魔崇拝者たちはそのことを知っているのです。